長野県の富士見町と茅野市にまたがる山あいの森の中に、1日ひとり限定で過ごせる完全プライベート空間「森と、ピアノと、」があります。今回は、日常の役割や思考から離れ、自分の好きなことに没頭できるというこの施設を見学してきました。

最寄り駅は、緑に囲まれたローカルな無人駅。そこから森の案内人に迎えられ、施設へと向かいます。森の中にひっそりと佇む建物に到着すると、まずはスマートフォンなどのデジタルデバイスを専用の宝箱に預けます。外部からの情報を遮断し、デジタルデトックスをすることで、日常を手放し、自分自身と向き合うための時間が始まります。


建物は「完成して終わりではなく、育てていく建築」をテーマにしており、大工や職人、そして施主たちが境界を越えて共に手を動かして作り上げたそうです。茅葺きの屋根や、地域の畑などから集められた石を使った石積みの土台が、周囲の自然と調和しています。室内は「音の間」と「色の間」というふたつの空間で構成されており、その時の気分に合わせて自由に行き来することができます。





「音の間」に置かれているのは、1965年製のオールドヤマハと呼ばれるグランドピアノ。プラスチックなどが普及する前の時代に職人の手仕事で作られ、膠や鹿の皮といった自然素材が使われている希少な一台です。川のせせらぎや鳥の鳴き声が聞こえる中、誰の目も気にすることなく、自分のためだけに音を奏でることができます。上手に弾く必要はなく、ただ音を鳴らすだけでも心地よい時間を過ごせます。

隣接する「色の間」にはキャンバスが用意されています。絵を描くことはもちろん、森で見つけた落ち葉や小枝を紙に写し取ったりと、自然に触れながら自由な感覚で色と遊ぶことができます。イーゼルを森の中に持ち出して、木漏れ日の下で描くのもおすすめです。




この「森と、ピアノと、」が生まれた背景には、発起人の実体験があります。元々は東京で薬剤師として働き、世のため人のためという思いで忙しい日々を送っていたそうです。しかしコロナ禍になり、自宅でパートナーが仕事をする中で、1人になれる時間が全くなくなってしまいました。
その時、心の中に湧き上がったのが「誰にも見られずに、自然の中で好きなだけピアノを弾きたい」という純粋な欲求でした。探しても理想の場所は見つからず、「ないなら自分で作ろう」と決心します。そして、企画書代わりに「森での理想の1日の過ごし方」を物語として書き留めました。そのストーリーに共感した人々が集まり、共に森を整備し、数年の歳月をかけてこの場所を作り上げたのです。

現在用意されている基本プランは、コンセプト通り「1日ひとり限定」の完全プライベートプランです。公式サイトから予約ができ、誰にも邪魔されることなく、自分だけの時間を存分に味わうことができます。

さらに最近では、この特別な空間を活かした新しい過ごし方も提案されています。例えば、大切な1人を想って曲を作り家族で聴く「ミニコンサート」のプランや、春夏秋冬に合わせて年4回開催される「季節の食事会」などです。食事会では、屋外のファイヤーピットを使い、地元の旬の食材を使った料理をライブキッチン形式で楽しむことができ、ほろ酔い気分でピアノの演奏を楽しむ参加者も多いそうです。

まずは1人で静かに没頭する時間を持ち、自分の感覚を取り戻す。そして機会があれば、美味しい食事や音楽とともに違った森の表情を楽しむ。そんな豊かな使い方ができる場所です。
誰かの期待に応えたり、時間を気にして急いだりする必要はここにはありません。ピアノを弾いても、絵を描いても、あるいは森の音を聞きながらただぼんやりと過ごしても自由です。ここは、忙しい毎日の中でつい忘れてしまいがちな自分自身の感覚を、そっと取り戻せる場所です。「森と、ピアノと、」で、少しだけ日常を離れ、自分のまんなかに還る休日を過ごしてみてはいかがでしょうか。

